倉光良典
熊本県生まれ、千葉県育ち。早稲田大学教育学部 卒業後、Google 日本法人にビジネス職の新卒一期生として入社。同社にて、オンライン広告の新規営業・サポートチーム立ち上げ、研究開発組織での新サービスの市場への導入、アプリプラットフォーム向け決済システムの推進など、幅広い業務に従事。直近では、教育分野における YouTube の利活用促進にも携わる。変化の激しい世界の中でイキイキと生き続けるために必要なマインドセットの追求と普及を目指し、2019年 より Katsuiku Academy に参画。
※ 本記事の内容は個人の見解であり、所属する組織を代表するものではありません。
Katsuiku Academy スタッフ インタビュー⑤【倉光良典】
今回はKatsuiku Academyの倉光良典さんにインタビューをしました。お父様との死別をキッカケに教育分野に興味を持ったという倉光さん。日本で生まれ育ち、国内の教育しか受けていないというバックグラウンドながらも、国際的な企業で活躍されている経験から感じるマインドセットの重要性などについてお話を伺いました。
ーKatsuiku Academyでは現在どのようなことに取り組んでいますか?
倉光:現在は中高生向けのキャンプ事業、国内外の研究に基づく教育に関するブログ記事の執筆やオンラインを通じた外部へのコミュニケーション業務を担当しています。
国際色豊かな同僚たちに気付かされた大切なこと
ーKatsuiku Academyではそれぞれがイキイキを追求する上で、それぞれが持っている価値観やストーリーを大切にしていますが、倉光さんのストーリーを聞かせてください。
倉光:私は現在、Google の日本法人で働きながら、プライベートの時間を活用して Katsuiku Academy のお手伝いをさせていただいてます。
Googleで出会った同僚たちから得た刺激が、いま私が Katsuiku Academy に関わる理由に大きく影響しています。
私は、2008年 Google 日本法人にビジネス職の新卒一期生として入社しました。
国際的な企業であり、業務には英語が必須です。
それにも関わらず当時の私には国際経験はほとんどありませんでした。
私が受けてきた教育は、小学校から大学までいずれも国内の学校で、私自身帰国子女でもなければ留学経験もありません。
二十歳になるまでパスポートを持ったことがなく、日本から一歩も出たこともありませんでした。
英語が苦手科目だったこともあり、高校生までは「自分は一生国内で生きていくから、英語なんて必要ない」と思っていました。
いま思えば、英語を勉強したくない単なる言い訳に過ぎませんが。。。
そんな私が、なぜ Google のような外資系企業で働くことになったのか。そのきっかけは2002年の日韓ワールドカップに遡ります。
当時、浪人生だった私は、駅でアイルランド人のサポーターが売店でなにかを買いながらも、今にも出発しそうなスタジアム行きの電車を気にかけて、ソワソワしている場面に出くわしました。
話しかける勇気はありませんでしたが、ドアがすぐに閉まらないようにホームと電車に跨るように立ってると、買い物を終えた彼が、お礼を言いながら缶ビールを差し出してくれました。
アタフタと缶ビールを受け取りながら、「もしここで言葉でコミュニケーションが取れたら、きっともっと面白いのに!!!」と感じたことを強く記憶しています。
英語の可能性を身をもって感じた出来事でした。
これをキッカケに、実践的な英会話を独学で勉強しはじめました。
就職活動では、もともとパソコンやテクノロジーが好きで将来性を感じていたこともあり、主に外資系のIT企業に挑戦し、縁あって Google に入社が決まりました。
このような出会いや出来事を経て Google というグローバルカンパニーで働くことになったのですが、そこで驚いたのは同僚たちがみな優秀で、語学に優れ、そしてまた人格者であることでした。
そのような同僚たちと接する中で、私が最も違いを感じたのは、実は「英語力」ではありません。
もちろん、英語も現在進行形で苦労はしているのですが、それ以上に同僚とのあいだで感じた差は、そもそもの物事の捉え方であったり、困難や他者と意見が異なったときの根本の考え方でした。
どのような考え方の違いか、一つ例をお話しましょう。
ある重要なプロジェクトが、みんなで長い時間と労力をかけたにも関わらず、期待どおりの結果にならないことがありました。
私の頭のなかにはすぐに「このプロジェクト、頑張ったけど結果が伴わなかったから失敗だな」と否定的な考えが浮かびました。しかしある同僚は、「今回の結果は残念だったけど、このやり方ではうまくいかないことが分かったから、良いチャレンジだったね。」と言い、事実は素直に認めつつも前向きに結果を受け止めていたのです。
どちらの捉え方でも、プロジェクトの結果が想定どおりにいかなかったという事実は変わりません。しかし、両者には決定的な違いがあります。
私が半ば反射的にした否定的な捉え方の場合、その後の議論は「失敗の原因はなんだったのだろう?」と後ろ向きな話し合いになりがちです。
一方、同僚のした捉え方だと、「ではどうすれば次はうまくいくだろうか?」とより前向きで建設的な議論に繋がり、結果プロジェクトの成功に早く到達しやすくなります。
これはあくまで一例で、私が同僚と「物事の捉え方」や「根本の考え方」の違いを感じる瞬間はこの他にも日常的にたくさんあります。
当初、私はその「物事の捉え方」や「根本の考え方」をうまく表す言葉を持ち合わせていませんでした。
しかし Katsuiku Academy に関わり、私が Google で感じていた同僚との差は、まさに「マインドセットの差」だと気付かされ、いまはこれからの世界で活躍する人々に求められるのはいったいどのようなマインドセットなのか、またそれを見出したとしてどのように世に広めていくかを、Katsuiku Academy で追求していきたいと考えています。
Katsuiku Academyが大切にしているマインドセット等に関わる記事については下記を確認ください。
自分の意見と他人の意見、難しい課題にはどちらも必要
ー 倉光さんが感じられた「マインドセットの差」について、もう少し教えてください。
倉光:一言でいえば、自分自身やそれを取り巻く他者や出来事に対する「向き合い方の差」だと思います。
そもそも「絶対的な正解」というものは、ビジネスの世界にもプログラミングの世界にもありませんが、Google は特にテクノロジーや人事手法に関して、世界でも最先端を行く企業だと思います。新たな技術や手法を開発し続けていく中で、人類がまだ直面していない課題にどんどんぶつかります。
そういった環境では、そもそも課題そのものにどう向き合うかが問われますが、私は常日頃から、答えのない壮大な課題に対して同僚たちが見せる対応力の高さに驚かされています。
答えのない課題に対し、いま手元にある限られた情報を駆使して自分なりの仮説を作り上げ、社内外のさまざまな立場の異なる人とも、良好な関係を築き、活発に意見を出し合いながら、その仮説をどんどん良いものへとブラッシュアップしていく。
向き合う課題が大きなものなので、それに対する仮説が正しいものなのか、はたまた全く的はずれなものなのか、それを検証するにも規模の大きな話になりがちです。そうなると今度はチームで動くことが求められます。
そういったこともよく理解していて、仮に他のメンバーと意見が合わなかったときにも、単に意見をぶつけ合わせるだけではない。自分の意見はしっかりと主張しつつも、相手の意見も上手に取り入れ、協業していく。議論は誰が正しいか勝ち負けを決めるものではなく、より良い答えに近づくためのものだからです。
当たり前ですが、難しい状況になると見失いがちなこういったことを日常的に実践する同僚たちと日々触れ合うことで、マインドセットがとても重要だと身をもって知りました。
マインドセットの育成は、これからの社会に必ず求められる
ーKatsuiku Academyに参画されたのはなぜですか?
倉光:Katsuiku Academy への参画は2019年からですが、キッカケは4年前の父の死まで遡ります。
他界したときの父の年齢は70歳、当時私は35歳とちょうど半分の年齢でした。
父は平均寿命よりも短かかったですが、それでも「自分の人生も場合によっては今が折り返し地点かもしれない」と思い、今後の人生について深く考えるキッカケになりました。
「自分が死ぬまでに成し遂げたいことはなんだろうか?」
という問いにかなり長い時間をかけて考え、出した結論は、「これまでの自分の人生で得たノウハウを後世のために伝えたい」というものでした。
私が同僚たちと接する中でマインドセットの重要性に気づいたことは、先ほどお伝えしたとおりですが、同時にもう一つ気づいたことは、私が受けてきた教育ではそういったマインドセットについてトレーニングを受ける機会をほとんど持てなかった、ということです。
私は Google の中で自らが体感し突きつけられた周囲との差を、もがきながら自分で試行錯誤しなんとか乗り越えようとする中で、徐々に必要なマインドセットを学び、埋めていきました。
しかし、わざわざそんな苦労をせずとも、学生のうちから適切な機会が十分にあれば、そういったマインドセットはもっと自然に身につけることができると思います。
僕よりも後の世代の皆さんには、そこはさっくりとパスしてもらって、世界中のいろんな人と協業しながら、時代を次のステージへ進めることに集中してほしい。
そのための礎にどうしたら自分がなれるか?と考えた結果、安直ですが「教育」なのではないかと考えました。
では自分はどのように教育の領域に関わっていくか?
次のステージに進めたいから、今の教育に携わるのではなく、何かしら教育においても新しいカタチを模索している団体を探しました。
様々な団体を探すなかで Katsuiku Academy の募集記事を見つけ連絡をとったところ、中高生向けキャンプを見学させていただけることになりました。
そのキャンプで伝えられていたマインドセットがまさに、自分が後世に伝えたい「物事の捉え方」や「根本の考え方」ではないかと強く直感し、すぐに参画することを決めました。
Katsuiku Academyのキャンプについて、下記リンク先からレポートが読めます:
ー最後に中高生の方に向けて一言お願いいたします。
倉光:これを読んでくださっている方が、今どのような状況にあるかわかりませんが、もし今置かれている状況に苦しんでいたり、困っていたり、そこまでではなくても少し違和感があったりする人がいたら、どうか「今いる場所が世界のすべて」だと思わないでもらいたいです。
常識は場所や時代が違えばいくらでも変わりうるもの。
私は、誰かが何気なく使う「普通は〜」とか「みんなは〜」とか「常識」といった言葉を気にしすぎないよう心がけています。
もちろん周囲への敬意や思いやりはいつでも忘れてはいけないけど、同時に、自分自身の気持ちもとても重要だと思っています。
「あなたに向けて、生涯を通して年中無休で優しさと思いやりを与えられるのは、他ならぬあなただけである。
クリスティン・ネフさんというアメリカの教育心理学者の言葉です。
自分自身が本当に感じている気持ちや想いにフタをして、押し込めてばかりいるのではなく、必ず存在する「あなた自身の良さ」に目を向け、「自分はこう思う!」「これに挑戦してみたい!」といったあなた自身の持つ意思を大切にしてほしいと思います。
自分自身を思いやる気持ちについては、こちらの記事をぜひご参考ください。
自分らしさについては、下記リンク先のアイデンティティの記事が参考になります。
※ 本記事の内容は個人の見解であり、所属する組織を代表するものではありません。
Next Education Awardという教育者を表彰するアワードを設立しました。
第一回目となるアワードに関する詳細を知りたい方は下記をご覧ください。